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ブログ

2019 年 6 月 23 日

迷惑クレーマーへの怒り - 善良な人が被害者になる

 私の友人の話である。彼はある市の職員で、10年以上も前に研修で知り合ったのだが、今は私にとって信頼のおける人である。人格者と言ってもいいほど仕事に向かう姿勢は真面目であり責任感が強い。もちろん人間だからいろいろな面もあるだろうが、性格的に穏やかで落ち着いていて、決して感情的になったりはしない印象がある、そんな人柄である。いつかプライベートで食事をした時にも、是非会ってくださいとわざわざ奥様をお連れになり、仲のいいご夫婦の姿に彼の性格の良さを感じたものである。

 その彼が不祥事を起こし、謹慎中との報に接した。にわかには信じられないことだった。そのことを知らせてくれた方が、そのことの詳細を説明してくれる前に私は言った。「不祥事といってもそれは善意から行われたことでしょう?彼が悪意で不祥事を起こすとは私には到底考えられません。で、何があったのですか。」と。
 ことの概要を報道から要約すると、彼が「ある人の個人名や電話番号を載せて、その人を誹謗中傷するビラを作り、夜間に公共施設の敷地内で配布した。被害者は知人とみられる。」ということだ。このことはネット上のいくつかのサイトでも取り上げられており、本人の動機など一切分かっていないにもかかわらず「公務員がけしからん」などとある。心ないサイトには、その理由を知人との個人的恨みや金銭のトラブルではないか、などの憶測の書き込みもあって、私としてはなんともいえない悔しい気持ちになった。真相を知りもせずに、勝手な憶測を世に出すことはあまりに破廉恥な行為だ。ネット社会はそういう人の集団なのかと怒りを感じたものだ。

 私はこの一件について詳細までを知る由はないし、彼には年に一度ほどしか会わない。しかし、僭越ながら彼の気持ちと状況については多少の想像ができる。
実は彼が誹謗中傷したとされる知人は、知人ではない。少なくとも彼はこの人に会ったことも電話で話したこともないと思われる。この人はこの市役所では有名なクレーマーなのだ。10年ほど前から市にメールでクレームを寄せて、そのメールは時には日に何十通も来ることがあるという。それに回答すると、揚げ足を取る内容を返してきては新たなクレームの種を作る。どの部署のクレーム内容か脈絡はないらしい。それが度を超してしつこく、常識を欠く。職員個人を名指しした誹謗中傷もあるという。こちらから電話をかけても出ないし、役所に来るように促しても来ないという。行政の制度の詳細をそれなりに勉強してしつこく問い合わせてくるので、結果的に管理職クラスが返信メールの作成に時間を取られて業務が滞る。こちらの感覚としては、迷惑以外の何者でもないわけで、この市の管理職クラスならほぼ全員がその人のことを知っているほどの、いわば迷惑行為の常習者なのである。

 私の友人はこの市の広報を担当していた管理職である。このクレーマーに対応する直接の責任者だった。もちろん、その他にも業務はあるので結果として時間がタイトになり激務となる。彼は平日も毎晩の残業、休日もイベント対応、イベントがなくても出勤し年間をとおしてほとんど休んでいなかったという。
 この人については、過去に彼からも彼以外の他の職員からも、役所はこういった人に対してどこまで対応しなければならないのか、などと私宛に相談があった。だから部外者の私もその人の存在を知ることになったわけで、職員側の苦労も想像できるのだ。

 市民がメールを使って市の各所に意見を言う、そのことに違法性はない。しかしながら、それが常識的に意味のない内容で、総体として迷惑であれば、記録を取って、いつかは本人に迷惑だと、組織として主張するしかない。過去の記録から迷惑であることを主張し、よほどの内容でない限りはメールを無視すべき、私はそうアドバイスした。その先は、その人の行動の是非を最終的には警察や裁判所が判断してもらうことだと。
 しかし、そこまではなかなか行かないのが現実だろう。それならば、役所がいかに困っているかを世論に訴える、このことも視野に入れるべきかと思う。スーパーマーケットなどの店舗では、お客さまの声というかたちで公開されているところもあるように、こういう人がいてこういう意見にはこう答えましたと公開する。もちろん個人が特定できないようにすべきことではあるが、その人にとっては自分の主張が公開されるので無茶なことは言いにくくなる。

 このようなクレーマーが社会一般に増えているという。メールはいつでもどこでも送れるのだが、平日に多数のメールを送ることができるということは、生活ぶりが一般的な会社員とは違うのだろうか。個別にはそれぞれ事情もあるのだろうが、メールを受ける側への思いが欠落している。このようなクレーマーは、私生活でのコンプレックスが疑われる。自分は社会から認められていない、社会と真正面に向き合えないという卑屈な思いが、クレームに走らせる。クレームの内容については、それが正論だという意識があるのでそのときは自分の優位性を感じられる。自分がクレーマーになったその場面では主役になれるのだ。
 間違ったことを言っているのなら、本人もそれをどこかで自覚するだろうからクレームを言うときにも多少の遠慮も入るだろう。しかし、自分の主張は100%間違っていないという自負がある人は、相手の迷惑を思いやることはなく反省もしない。だから厄介だ。

 この度の友人の行いは確かにまずかった。ビラを配布することで、他人を誹謗中傷する不祥事とされてしまったことは残念だ。しかし、彼には迷惑クレーマーに対する正義感があったのではないかと想像する。非常識クレーマーに心を折られ、判断を間違ってしまったとすれば、ある意味で被害者だ。
 一方で、こういった迷惑クレーマーの存在を社会に知らしめなければこちらが参ってしまう、迷惑行為を社会に問うという意味では、その考え方は正義の一つである。そういう意味で、私は彼の心根を誇りにすら思う。
 彼の一日も早い復帰を祈らずにいられない。そして、お酒を酌み交わしながら、また人生を語り合いたいと心から思う。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )