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ブログ

2019 年 12 月 31 日

社会が分断されている ― 豊かさの裏に感じること

 年の終わりに感じること、この一年に限ったことではないのかもしれないが、世の中が別れてしまっている現実である。

 今年は、台風の被害が大きかった、19号では千葉県の南部を中心に屋根が飛ばされるなどの被害が多かったし、その後の豪雨では各地の河川が氾濫した。年末を迎え、屋根のブルーシートどころか、室内のいたるところにシートをかけてすでに雨を遮る屋根がない、そんな家で暮らしている人がいると、そんな報道もされていた。そのような報道を受け、気の毒なことだとは思うものの、大田区のマンションに住んでいて被害のなかった私はいつものとおりの生活ができている、同じ関東に住んでいて明らかに違う生活をしているのだ。

 その台風の時には、私の住んでいる大田区も多摩川の万が一を考えて、避難準備情報が流された。隣の自治会では、実際に小学校に避難所が開設されたという。私はマンションの8階なので、避難こそしなかったが、近隣の町内のお年寄りの中には、不安を感じ激しい風雨の中をずぶ濡れになりながら、避難所に指定された小学校に行った人もいたという。行ってみたらすでに満員、他に行ってくださいとの張り紙があった例が報告されていた。台東区では避難所を訪れたホームレスの男性2人の受け入れを拒否し、その賛否が話題になっていた。
 現実の問題もあるのだろうが、避難所の中に入れた人と入れなかった人の間には明らかな分断がある。私にはどうしたら良いのかは分からないが、社会が豊かになるにつれて社会の分断を感じる局面が増えた気がする。

 消費者と企業の人、
 住民と役所の職員、
 被害者とそれを作った環境、
 少しばかり給料の高い人(ニューリッチ)とその他の人(給与所得者の38%が非正規雇用者)、
 タワーマンションに住んでいる人とそれを見上げる人、
 災害被害者と被害を受けなかった人、
社会が豊かになるにつれて、人の意識の差は拡大している。そういう気がするのだ。一人の人間としては差がないはずなのに。

 川崎市武蔵小杉は、近年ニューリッチの人が移り住んでいるといわれている。先の台風で、その一部のタワーマンションで電気室が水没、停電した。水道、エレベータが使えず、地上数十階に暮らす人々が相当な不便を被った。ネット上の書き込みには「ざまを見ろ」との書き込みが相次いだという。まさに社会の分断ではないか。
 災害はいつどこにでも来る可能性がある。次は自分が災害を受けるかもしれない。少しくらい給料が高くても、明日は病気になり働けなくなるかもしれない。では、そういう人がいたら、何を思い、何をすべきか。
 そういうことにイマジネーションを働かせること、それを思いやりと言っては過ぎるだろうか。せめてその思いを巡らせる瞬間があれば、と思う。例えば、非常識なクレームが減るのではないか。例えば、災害の前に無意味な買い占めで他の誰かに迷惑をかけることはないのではないか。例えば、ざまを見ろといった、心を汚す書き込みが少なくなるのではないか。
 来年が良い年になってほしいと思う。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )